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日常現実のふかい襞(ひだ)

先日、「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容 瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄を千葉市美術館まで足を運び、見てきた。その際に購入した赤々舎発行の冊子冒頭、大日方欣一(おびなたきんいち)さんの「雑誌『フォトタイムス』にはじまる」で下記のように書かれていた。

“日常現実のふかい襞のかげ”に潜んだ、”無意識のうちに飛び去る現象”をスナップすること

これは瀧口修造氏がフォトタイムスで記載したことをもとにしているが、まさにこのひと言がアカウントプランニングのインサイトの発見に繋がる。

アカウントプランナーは、対話やデータを通じて、日常現実のふかい襞(ひだ)を探る。その日常現実は、消費(生活)者だけでなく、それを取り巻く、社会や世間を含む。またサービスや商品を提供する企業やその業界を含む。さらには、その思考や行動の背景となる、現在だけではなく、過去や未来をも含む。

それらは、意識されたものだけでなく、無意識下におかれ、日頃、言語化できないものも多い。それら、潜在的なものを、我々が、相対し、紐解いていく。そして抽象化、言語化していく。それは、遠い、遠い道のり、ゴールが見えない道を歩いているようなものだ。

スナップ写真は誰もが簡単に撮れると反論があるかもしれない。でも、そこに日常現実のふかい襞(ひだ)が写っているのか。さらに写っていたとしても見出すことができるのか。

それは簡単なことではない。日々が日常が修行のようなものだと思う。

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