Blog
広告、嫌い

30年間、広告という仕事をしてきて、今、一つの問いが頭から離れません。
「この広告は、誰かのためになっているだろうか」と。
広告は、効果を数値に置き換えられて考えられるのが使命のようなものです。
インターネット広告の登場以降、一層その傾向が強まったかと思います。目に見えなかった効果がより可視化されるようになったことはそれは素晴らしい進歩です。しかし、その数字を追いかけすぎるあまり、私たちは大切なことを見失ってはいないでしょうか。
画面の向こう側にいる、一人の生活者の「心」。
無理やり見せられる広告、次に進むためにクリックを強要される広告。そういった広告がユーザーの体験を損ない、「広告は邪魔なもの」という認識を広げてしまっている現実を、私たちは直視すべきです。
どんな手段を使っても「効果が良い広告が良い広告」。それは真実の一面です。しかし、それが全てであってはならない。人を不快にさせていることは、長期的に見て、本当にブランドのためになるのでしょうか。
私が愛し、こうありたいと願うのは、そういった広告ではありません。
たとえ一瞬でも、見た人の気持ちが動くもの。
「なるほど」「確かに」「すごい」「素晴らしい」と、心がプラスに振れるもの。
作り手の情熱や誠実さが伝わり、その企業や商品・サービスを好きになるきっかけとなるもの。
そういった広告です。
私は、広告の力を信じています。
人を不快にするのではなく、
人を豊かにできる力を。
瞬時に現れる数字だけに
囚われるのではなく、
人の心を自由にする力を。
だからこそ、私はこれからも問い続けます。
「この広告は、誰かのためになっているだろうか」と。
その答えに「できている」と確信できる仕事を、これからも続けていきたいと思います。